万葉集の学び始め 3

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そのころ、我が母校においては他の大学にあったような「ゼミ」と呼ばれるものは存在してはいなかったたぶん今もそうなのだろうと思う。だから、祖業論文を意識し始める3年生も終わりの頃になると、学生自らが勝手に先生方の研究室を訪れ、次年度の卒業論文作成に向けて教えを請い始めるというのが一般的な形であった。むろん、大学が用意したカリキュラムの中にももちろん万葉集や古事記に関する講座はいくつかあり、そこで学んだことは決して少なくはない。卒業論文を書くためのベースとなる知識はそこで得られたことは言うまでもない。

しかしながら、私の万葉集の学びは、学生たちが自主的に運営していた研究組織…万葉輪講会…においてが中心であった。「ゼミ」というものの経験が全くない私が、そのちがいを述べられるはずもないのだが、輪講会は大学のカリキュラムの中に位置づけられたものではない。あくまでも学生たちの自主運営の組織である。そこに学部の先生方に足を運んでいただいて、教えを請うという性質のものだから、参加するもしないも個々の学生の意思次第ではあった。

が、「ゼミ」というものがないために、学生たちは卒業論文を書くために必要なより高度なスキルを身につけるためにこの輪講会に参加するものが多かった半分以上の学生は参加していたんじゃないかな?そんでもって、あとの半分は個人的に先生方のお世話になっていた

長すぎる前置きはここまでにして、初めて万葉輪講会に参加した私にもその日の輪講会で使用される資料が配られた。万葉集巻7、1261番の歌がこの日扱う歌だったと記憶する。

山守之 里邊通 山道曽 茂成来 忘来下

やまもりの さとへかよひし やまみちぞ しげくなりける わすれけらしも

山守の 里へ通ひし 山道ぞ 茂くなりける 忘れけらしも

以上のように扱うべき歌の原文、続いてその訓み、それを漢字仮名交じりに表記したものここには当然、ある程度の発表者のこの歌に対する解釈が示されるよね
それに続いて本文の異同。この歌の場合、「里邊通」の「邊」の文字と「山道曾」の「曾」の文字。それぞれ「辺」「曽」となっている本や注釈書がある程度で、発表者はそのことを紹介したぐらい。そんなに問題視はなさっていなかったと思う。どっちがそもそもの文字遣いかを探るという点を重視するならば深く考えなければならない点ではあるが、ある意味分かりようのない問題でもあり、どちらにしたところで歌意に大きく影響を及ぼすものではないというのが、発表者の意図だったと思う。

続いては訓読。これには少々問題があって、その一つ目は「里邊通」。この部分によっては上に示したように「里へ通ひし」と訓む本、注釈書が主流であったが、「里辺に通ふ」と訓む注釈書がいくつかあって、「里」とした場合と、「里辺」としたときの意味合いの違い、助詞「へ」と「に」の違いが論じられた。また「通」を「通ひし」とした時に、本来「通」という文字には含まれない過去の概念を示す助動詞「し(き)」を訓み添えなければならないが、その訓み添えの可否なども問題になった。お世話になっていたH先生は長年万葉集における訓み添えを研究なさってきた方だったから、たぶんこの時はしっかりとその可否についてコメントをいただけたのだろうとは思うが、初めて何の準備もなしに参加した私にとって、そこで交わされていた、

「~~本には○○とあります。」とか、

「万葉集私注釈には××とあり、全註釈には△△とあります。」

なんて言葉は、まったくのちんぷんかんぷん。したがってその記憶は全くない。だから、今ここでこうやって書いているのは、今の私が、この歌ならばたぶんこんな話題が出ていたんだろうなと想像しつつ、かすかなる記憶を呼び起こしたものに過ぎない。次も事情は同じである。

そしてもう一つの訓読上の問題点は「茂成来」。これはほとんどの本、注釈書が「茂くなりける」と訓んでいるところを、一つの注釈書だけが「なりぬる」と訓んでいたのだ。「けり」か「ぬ」か問題であるが、これは本文中に「来」の文字があることから「けり」と訓むべきだとあっさり決まったかと記憶する。

続いては語句の意味。初句の「山守」。「山林を見まわって番をすること。また、それを職とする人。(日本国語大辞典)」とするのが一般的な理解。ただし、発表者は『時代別国語大辞典上代編』の語釈をそこで示していたと思うが、これは今手元にはないのでお示しできない。問題はそれを額面通りに受け取っていいのかと言うことだ。つまり、表面上は「山守」と書いてはいてもそれが「女の元に通う男を暗示しているのだろ理解することはできないかということで発表者は「通ふ」という語を万葉集中から用例を引っ張ってきて、その論証を試みていたと思う。そのうえでもろもろの注釈書の考えの比較検討。

後は詳しく覚えていないので省略。最後に口語訳が示された。口語訳がその歌に対する理解が集約されたものだからである。

以上のような流れで、私の初めての万葉輪講会体験は終わった。平仮名にしてたった31文字に2時間もかけていることには驚いたし、テキストに印刷された本文が原典そのものとは言い切れず、ひょっとしたら違う形であったかもしれないということには、今も上手く説明できないが、何かしら不安めいたものを感じた記憶がある。

まあ、はっきり言ってちんぷんかんぷん。こちらの力不足が思い知らされた。その日の発表者は2年生の方。たった1年で自分はこれだけになれるのだろうかと心配になってしまったことを覚えている。

ともあれ、勉強しなければならぬ…深く心に刻まれた2時間であった。