「倭歌木簡」と明神山の烽火

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先週は更新を怠ってしまった。別に忙しかったとか、体調が悪かったとかではない。気がついたら月曜日になっていたに過ぎない。ただ、月曜日からはちょっと忙しかったので、遅ればせながらの帳尻合わせの更新ができなかっただけのことである。

今日はツイッターで私がフォローしている皆さんの間で、最近、話題になっている事柄について2つほど書いて見たいと思う。

1つ目はこれ。

 和歌を意味する「やまとうた」という言葉が使われた最古の例となる木簡が確認されたと、奈良文化財研究所が発表しました。  木簡に記された「倭」と「歌」の2文字。「やまとうた」と読みます。これは平城宮
いわゆる「やまとうた木簡」についてである。

すでに、いつもお世話になっている玉村の源さんが

 昨日、「倭歌」と記した木簡が発見されたという新聞記事がネットにも載り、ツイッタ...

 一昨日報道された「倭歌」木簡を大変興味深く思って、昨日、新聞記事をまとめてみま...
の2つの報告をアップされていて、早速拝読し、熟読味読、大変な勉強をさせていただいた次第で、これ以上私が何かを云々することは蛇の絵に足を書くようなことになる。だから、詳細は源さんの2つの記事を読んでいただければと思う。

ただ、せっかく奈良に住んでいるのに、当の木簡を見ないままに過ごすことはできない…ということで、先週の週末は奈良文化財研究所平城宮跡資料館に行ってきた。展示品のリストはここをクリックすれば見ることができるが…当施設に足を運べば、このような資料をいただくことができる。

まことに勉強になる冊子である。お目当ての「倭歌木簡」の部分を抜き出せば…

52 万葉仮名で和歌が記された木簡

(表) □倭歌壱首多□□□□□〔奈久毛利阿力]米布良奴

(裏)□□□[  ]米麻児利夜ヵ止加々布佐米多

長さ三〇一mm・幅三一mm・厚さ六mm 〇一一形式

一字一音のいわゆる万葉仮名で、「倭歌」(和歌)を記した木簡。表面の「多奈久毛利阿米布良奴」は「棚曇たなぐもり 雨降らぬ」の意か。「棚(たな)曇る」は「一面に曇る」の意で、『万葉集』巻十三・三三一〇番歌に「たな曇り 雪は降り さ曇り 雨は降り来」、『日本霊異記』下巻第十八に「時に未申の間に、段曇り雨降る。」などとある。裏面の…下略

(六二一次、SD2700 出土。『奈良文化財研究所紀要2022』 一五四頁(二一)

というところである。そして、この冊子、自宅に戻ってからもまことに役に立った。

実は私はこの時不覚にもにも老眼鏡を忘れていたいつかもこんな事があったと思うのだが。あまたの木簡に記された文字たちは全てにじみ、私に判別できたのはほんの数文字。一番の目的であったこの「倭歌木簡」も、この文字がそうだと教えてもらえば・・・・・・・・・・・・・・・・なんとか「倭歌」と判別できる程度。

残念の限りである。

そしてもう一つの話題。

明神山は飛鳥時代より、360度を見渡せる眺望の良さから烽火(狼煙)による連絡拠点であったと想像されています。実際に烽火をあげ、地域住民とともに視認を行い、一つのMAPにすることで、王寺町の文化資産である明神山の歴史背景とその特性を体感するイベントです。
である。

明神山は、先日まで紹介していた三郷町と並んで大和と河内の国の境いをなす王寺町の名勝で、標高273.6mの低い山ではあるが、山頂からは360°の大パノラマがひらけ、大阪平野、大和平野のすべてを見渡すことができる。大阪府側の百舌鳥・古市古墳群はもちろんのこと、天気次第では明石海峡大橋も見渡せるという。大和側は北は若草山から竜王連峰、三輪山や音羽山・竜門岳・高取山までが見渡せる。

その明神山で烽火のろしを上げ、どのあたりまで見えるのかを確認しようという実験である。誰もが参加できる。今日の10時・11時・12時・13時・14時の4回に渡ってあげられる烽火を確認でき次第指定されたアドレスに写真を送るのだ。その事により「どのような天候のもと、どのような方角ならどの程度、烽火が見えるのか。参加者の方々に烽火の写真を投稿フォームからお寄せ頂き…中略…その写真・位置情報をもとに、烽火が見えた範囲のMAPをつく」るという。

三輪山の麓の我が家からは明神山がどの山かは判然としてはいない。が、見えている山並みのどれかが明神山なのかもしれない。いや、たぶん見えているだろう。おおよそ我が家から明神山までの直線距離は奈良盆地の東西の距離におおよそ等しい。その距離、長く見積もっても15kmほど。ならば…我が家から、あるいは我が家の近くのちょっとした高台まあ5mもないだろうならば見えるのではないか…そんなふうに思った。よしんば途中の建物に山自体は遮られているとしても烽火だけは見えるかもしれない…そう思って…

まずは10時、我が家の2階の窓と近くにある高台において確認。靄がかかってどれが烽火なのか確認できない。

そして11時。所要があって明日香村に行ったその帰り道、甘樫丘と雷丘の間の開けたあたりから見渡す。状況は先と変わらない。

そして12時。昼食中であった。

そして13時。私は大和郡山にあるショッピングプラザに向かう途中の車の中にいた。場所は磯城郡川西町の結崎。車は西に向かって走っていたから明神山はおそらく左前方。けれども・・・状況ははじめと変わらない。

そして最後のチャンス、14時。ショッピングプラザの中に私はいた。

以上が本日の顛末である。残念ながら明神山からあげられた烽火は確認できなかった。先程本日の記録のほうを確認してみた11月12日17時段階が、どうも烽火を確認できたのは見る限りではすべて王寺町の隣町あるいはその隣で、そんなに離れてはいない場所ばかりである。

しかしながら、大和盆地は真ん中が凹んだすり鉢状であるから盆地の東端から西端への見渡しは悪くない。条件さえ整えば見える可能性は決して低くないと私は踏んでいる。

イベントは今日で終わりではない。

12月の15日、この日は平日で仕事中であるからちょいと無理だ。なんせ私の職場は盆地ではなく東部の山地にあって、盆地の様子は全く見えない。

次は1月の7日、この日は明日香までの烽火のリレーを行うらしい。1月ならば風さえなければ空気は澄んで遠くまでみはるかせる。

チャンスは…このときである。

コメント

  1. 玉村の源さん より:

     ブログを紹介していただき、ありがとうございます。
     恐縮です。

     烽火実験、ちょっと残念ですね。
     あまり天候が良くなかったのでしょうか。
     今後、どうすれば遠くからでも見えるのか、、天候があまり良くなくても見えるのか、という工夫を重ねて、実際の烽火に近づけたら良いですね。

     愚考するに、煙に色が付いていたら識別しやすいですよね。
     雲や霞、火事などの煙と紛れないようにするには赤や青などが好都合でしょうけど、古代においてどのような色の煙ならば可能だったのか。
     多分、そのようなことは実行委員会(実際の名称不明ですが)でもとっくにお考えのことと思います。
     次回、次々回に期待します。

    • 三友亭主人 より:

      源さんへ

      >実行委員会(実際の名称不明ですが)

      どうも「王寺町地域交流課文化資源活用係内 王寺町の文化財を生かした観光拠点づくり協議会事務局」という部局が音頭をとっているようですねえ。

      見られなくって残念でしたが、昨日の手の器なら仕方なかったように思います。
      確かに天気は良かったのですが、盆地内は全体的にもやっていて…三輪からは二上山の姿も霞んで見えていました。
      次のチャンスを期待したいと思います。