「芸亭」…「石上宅嗣」の思い出

シェアする

今回石上宅嗣という名を思い出したことで、もう一つの記憶…芸亭やら石上宅嗣について…が蘇った…

と、前回の終わりで書いたこと。一体何を思い出したのか、今回は書いてみたい。

といっても、大したことではない。東北から大和の地へと出てきた当初の私が見た一つの光景についてである。ただ、この記憶が正しいのかどうか…あまり自信はない。私がそんなふうに思い込んでいるだけなのかもしれない。

それは大学に入ってすぐにその付属の図書館に使用についてのレクチャーを受けた時のことである。その図書館とは、ここ、

天理図書館である。

ほとんど忘れかけているのだが、我が国文学国語学科の先生のどなたかちょいと自信がないが私達新入生を引き連れて図書館に向かった。そしてご覧の階段を上りエントランスへ。

正面にはカウンターがあって、その向こうにいらしゃった司書の方どうも我々の先輩らしいがこれからこの巨大図書館のご案内をしてくださるのだ。

まずは受付カウンターの手前の空間に並んだ図書の検索コーナーについての説明。閉架式の図書館なんてものはこれまで経験がなかったから、その時はなんでこんな面倒くさいことをしなければならないんだろう…自分で直接本棚に向かったら早いのに…なんて思いながら話を聞いていたが、それが間違いであること、4年制になって卒論の下調べに書庫への入室が許された時初めて知った。

続いて閲覧室へ…そこはまさしく高校時代に現代国語で習った夏目漱石の「こころ」の図書館でのシーンを想起させるような、重厚な落ち着いた雰囲気に包まれていた。今まで使っていた石巻の市立図書館の安っぽい机と椅子とは大いに違っていた。こんなところでこれから学んでゆくのか…と身の引き締まる様な思いをしたものだがそのとおりに学生生活が送られたかは別の問題である

…と、これが前回の石上宅嗣やら芸亭やらとなんの関係があるのか…と思われる方々、話はここからであるただしここからの記憶が最も自信がない

受付カウンターに向かって左、受付のカウンターは西を向いているからその北側に閲覧室はあることになる。その閲覧室へと向かう側の壁面に一つの小さな…といっても高さが50cmぐらい…の木製の坐像がこちらに向かって座っている。どうやら、古代の貴族であるようだ。そして…その傍らにその木造にまつわる説明の看板があった。

それは芸亭と石上宅嗣にまつわる一文であった。

「芸亭…?」「石上宅嗣…?」

たしか高校の日本史の時間に習ったな…と、日本史の授業だけは真面目に聞いていた私にはぴーんと来た。

けれども、教科書に書いてあったのはそこまで止まり。それ以上のことは何も知らなかったので、その説明に書いてあったことは初めて知る内容であった。これもまた大学での新たなる学びである。

先週の記事を書きながら、ふと思い出したのはそんなことであった。

さて、件の図書館が石上宅嗣とどの様な関係にあるのかは、その「石上」という氏からも明らかであろう。そう、我が母校の所在地は石上氏(物部氏)の本貫地。そこにある図書館が石上宅嗣と関係がないわけがない。

だからこそ天理図書館の石段の向かって左横には「石上朝臣宅嗣公顕彰碑」が建てられている。その碑文を以下に示す。

石上朝臣宅嗣卿顯彰碑

石上朝臣宅嗣卿ガ奈良朝ノ晩季宝亀年間ニ方リ平城京ノ一隅ニ創立セシ芸亭院ハ我国公開図書館ノ権典トセラル卿名族ニ出デ父祖共ニ国史ニ顯ハレ且文学ノ誉アリ卿儀容閑雅経史ヲ尚ビ山水ニ親ミ詩歌ヲ能シ書道ニ達セリ和歌ハ万葉集二録セラレ詩賦ハ経国集等二存ス又仏教ヲ篤信シ其旧宅ヲ捨シテ阿?寺ヲ営ミ寺内特ニ外典ノ院ヲ置キ名ケテ芸亭ト云ヘリ好学ノ徒ハ出入シテ自由二図書ノ閲覧ヲ聴ルサレ読書ノ傍兼ネテ塵世ヲ超越シテ修養ノ静境タラシム恵沢ヲ被ムリテ著ハレシ者ニ賀陽豊年等アリ惟フニ金沢氏ノ文庫設立ヲ遡ルコト約五百年而モ卿ガ徒二典籍ヲ収蔵スルニ止メズ弘ク之ヲ公衆ニ開放シテ利用ヲ奨メタル一事ハ近代以前殆之ヲ見ル能ハザル所ニ属シ真二本邦上世文化史上ノ異彩ト称スベク且東西図書館史上ニ特筆スルニ足レリ惜ムラクハ人去ッテ跡穢レ存立僅ニ数十年ニ至ラズ平安朝初期以降其院廃スルコト既二久シク遺址ノ明ニ究メ難キヲ憾メリ是ニ於テカ芸亭ヲ表彰セムト欲スル者仮二石上氏発祥ノ地ヲ選ビテ碑ヲ建テ宅嗣卿敬仰ノ意ヲ致サムトスル亦止ムヲ得ザルニ出ヅ按ズルニ石上氏ハ神別物部姓ノ流ヲ汲ミ饒速日尊ノ後裔宇麻志摩治命ヲ祖トシ古ク石上神宮ノ西辺ニ住シキ今其旧跡ヲ察スルニ天理図書館新営ノ処ヲ隔ツルコト遠カラザルニ似タリ卿此土ニ起リテ官ハ大納言兼式部卿ニ上リ晩年桓武天皇東宮二在ハシシ頃其伝タリ位ハ正三位ニ進ミ天応元年六月薨ゼシ時詔シテ正ニ位ヲ贈ラレヌ即今茲昭和五年ヲ去ルコト殆千百五十年前トス蓋其生誕天平元年ヨリ算スレバ本年ハ正ニ千二百年二当レリ是ヲ以テ本県図書館ノ従事者愛護者等相共ニ首唱シ広ク之ヲ遠近各地図書館員並ニ日本図書館協会ニ計リ協心戮力芸亭記念ノ業ヲ企テ以テ卿ノ徳沢ヲ鑽仰セムトス而シテ首唱者撰碑ノ事ヲ予ニ嘱セリ予詞章二嫻ハズト雖卿ヲ欽慕スルコト甚深シ乃通俗ノ一文ヲ草シテ普及ニ便ニス
皇紀二千五百九十年八月 京都帝国大学図書館長 文学博士 新村出撰文
寧楽             史邑    辻本勝己書

以上である。裏面には、

 昭和五年十月十八日
石上宅嗣卿顕彰会建立

とある。その写真は玉村の源さんの次の記事にある。

 今日は天理市内をふらふらしてから、学会会場の天理大学に行きました。 以前、...
この石上朝臣宅嗣公顕彰会なる会がどのようなものか、私はよく知らないのだが、奈良図書情報館報である「うんてい」の4号にある文などが参考になるのだろうか…なんて思っている。

ところで、我が記憶を確かめるために、あちらこちらのサイトで天理図書館のエントランスの写真を確認してみると、角度にもよるのだが、どうも私の記憶している位置に件の木造はおいていない…というより、受付周辺のどの位置にもおいていないのだ。

私は私の記憶を疑う。木造とその説明を見た記憶は確かだ…だとするならばそれはどこで見たものなのか…しかしながら上の顕彰碑の存在からいっても、芸亭と関わりを持つような図書館はこの図書館ぐらいである奈良図書情報館は近年のものである。やはり…天理図書館だ…などと、考えているうちに次の記事を見つけた。

(社)日本図書館協会・近畿公共図書館協議会・奈良県図書館協会・奈良県・奈良県教育委員会・奈良市教育委員会が主催して平成24年に行われた”「芸亭院」開創1250年顕彰・図書館振興研究集会”についての報告であるが10枚ほど並んでいる写真の右の一番下を見ていただきたい。受付のカウンターの上に何やら坐像らしきものが見える。小さい写真なので拡大をしてみる。像はぼやけてしまししかとは判別できないが、どうも古代の貴族のようである。私がかつて見た石上宅嗣の坐像と判断して良さそうである。

とすれば、上に述べた私の怪しげな記憶もまんざら嘘八百ではなさそうである。とにかく、このザズは天理図書館のどこかに安置されていたことだけは確か…である。