Hard Times Come Again No More

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Hard Times Come Again No More

「つらい時代よ、もう来ないでおくれ」とでも訳すればいいのだろうか。まあ、中学校で習うレベルの英語であるから、これならば私だって日本語に直すことができる。これと同じ題名で以前書いたことがある。

年の瀬も押し詰まった今日、世情に疎い私も人並みにこの1年を振り返ってみたいと思いつつ、あちらこちらのメディアの…
日付を見れば分かる通り、震災の年である。そしてその中で私は次の歌を紹介させていただいた。フォスターの「Hard Times Come Again No More」である。

その時に紹介したのはJames TaylorとYo Yo Maの演奏によるものだが、おんなじものをまた紹介するのももう一つと思い、ちょいと探してみたのが上の動画である。この曲は色んな方々の演奏によるものがネット上にアップされているが、今の私の気分からすると、この歌を今歌うとすれば…こんな歌い方が一番ぴったり来るなあと思い選ばせていただいた。

一昨年来のコロナ騒動に加え、世界最大の領土を誇る国家が隣国に攻め入ったり、我が奈良県ではかつての宰相が狙撃されたり…つい最近に至っては敵地を攻撃する能力を我が国も持てるようにする方向性を打ち出す閣議決定があったり…

以前この歌を紹介した2011年、「あの日」を前に朝日ジャーナルの復刊第2合は発行されていた。そのタイトルは直後にこの国に訪れた災厄を予言するかのごとくであった。

日本破壊計画

そんなタイトルであった。その巻頭に寄せられた辺見庸の論文はその後のこの国について、世界について次のように予言した。

世界はもっともっと暴力的にむきだされていくだろう。中国共産党はいずれ姿を消すであろう。中国のバブルはちかい将来かならずはじけ、騒乱がおきるだろう。北朝鮮の現政権は倒されるだろう。イスラエルは生きのこるだろう。モサドが活躍するだろう。日本は軍備を増強し、原子力潜水艦をもつかもしれない。海兵隊またはそれと同質の機動部隊をつくるだろう。戦術核を保有するかもしれない。天皇制は、だいじょうぶ、まったく安泰だろう。憲法九条は改定されるだろう。キミガヨはいつまでもうたわれるだろう。貧しい者はほりひどく貧しく、富めるものはよりいっそうゆたかになるだろう。すさまじい大地震がくるだろう。それをビジネスチャンスとねらっている者らはすでにいる。富める者はたくさん生きのこり、貧しい者たちはたくさん死ぬであろう。階級矛盾はどんどん拡大するのに、階級闘争は爆発的力を持たないだろう。性愛はますます衰頽するだろう。テクノロジーはまだまだ発展し、言語と思想はどんどん幼稚になっていくであろう。非常に大きな原発事故があるだろう。労働組合はけんめいに労働者をうらぎりつづけるだろう。多くの新聞社、テレビ局が倒産するだろう。生き残ったテレビ局はそれでもバカ番組をつくりつづけるだろう。ファシストだかスターリニストだかエコロジストだか市民主義者だかモサドの回し者だかわからない、あやしげな男が人気をはくするであろう。サイバー・アナキストがふえるだろう。サイバー・スパイ(公安)もふえにふえるだろう。サイバー・ラッディズムが生まれるだろう。第二、第三、第四のジュリアン・アサンジが登場するだろう。秋葉原事件によく似た無差別殺傷現象が続発するだろう。死刑制度はなくなるだろう。むごい私刑があるだろう。国家権力と秘密機関がうらでからむ不可思議な謀殺、暗殺、みせかけの「自殺」が続発するであろう。マスメディアはひきつづき権力の意のまま、いや、いまよりいそうたくみに偽装された権力の構成要素でありつづけるだろう。そして、死刑制度復活の声がたかまるであろう。戦時下でも、たとえ核爆発があっても、ワールドカップ・サッカーとオリンピックはつづけられ、大いにもりあがるだろう。大手広告代理店が戦争関連CMをつくるだろう。日本人宇宙飛行士のコメントと日本の新聞の社説は、ひきつづき死ぬほど退屈でありつづけるに違いない。あの老人Aの死は、だれの記憶にものこっていないだろう。そしてちかい将来、貧者のおおくは、直腸熱が四十五度にもなって、陸続と死ぬのだ。

「標なき終わりへの未来論ーーパノプティコンからのながめ」2011年3月15日『朝日ジャーナル』より

さあて、どの予言が当たり、どの予言が外れたのか。むろん、そのよって立つところによって視点は異なるものだから、そのあたりの評価は幾通りもありうるだろう。私などは、この国が、世界が辺見庸の予言した方向に進んでいるようにしか見えない。

となれば…我々の未来に待ち受けているものは…

あんまり考えたくない。

私にとって今年はそして決して少なくはない人にとってもまさに「Hard Times」であったが、来年は…こんな年ではあってほしくない、そしてそんな思いでこの歌をじっくり聞いてみることにする。