廣瀬社 続々
前回は 廣瀬の地が大和盆地の治水の要である事実は確かではあると思う。そのことにあわせて、天武天皇がこの地を重視しなければならなかったもう一...
山辺道のほとりから
前回は 廣瀬の地が大和盆地の治水の要である事実は確かではあると思う。そのことにあわせて、天武天皇がこの地を重視しなければならなかったもう一...
どうも天武天皇はこの地域を少々気にしているようではある。その理由はどこにあるのか…私のようなものが考えたところでろくな考えが浮かぶはずもない...
この前の週末の昼下がり、馬見丘陵の東で葛城川・高田川を合わせた曽我川が大和川にそそぐ当たり…かつて広瀬野と呼ばれた地にいた。正確な地名は奈良...
昨年に引き続き、5月8日に予定されていた萬葉学会主催の「萬葉一日旅行」が中止になった。理由は皆さんもお察しのつく通り。説明をするまでもないが...
その書を手に取ったのは、大学に入って2ヶ月もたった頃であろうか。結構記憶ははっきりしていて、どんよりとした空の下、大学帰りの、駅に向かう道の...
本当は前回までの続きで「万葉集の学びはじめ 5」を書こうと思っていたのだが、今回はちょいと寄り道。 私は昨年の8月に60才の誕...
勉強しなければならぬ…と深く心に刻まれはしたものの、万葉集がどのような書物であるかと言った知識すら私はろくすっぽ持ち合わせていなかった。それ...
そのころ、我が母校においては他の大学にあったような「ゼミ」と呼ばれるものは存在してはいなかったたぶん今もそうなのだろうと思う。だから、祖業論...
前述のような事情で私は1979年に大和に出てきた。入学後のあれこれの面倒くさいことは済み、4月の半ばの頃には大学の学びが始まった。1年生で必...
東北の海辺の町で生まれた私がなぜ今大和の地で暮らしているのか、そんなことについてかなり以前に書いたことがあったなと思いだして三友亭倉庫の方を...