
万葉集の学び始め 4
勉強しなければならぬ…と深く心に刻まれはしたものの、万葉集がどのような書物であるかと言った知識すら私はろくすっぽ持ち合わせていなかった。それ...
山辺道のほとりから
勉強しなければならぬ…と深く心に刻まれはしたものの、万葉集がどのような書物であるかと言った知識すら私はろくすっぽ持ち合わせていなかった。それ...
そのころ、我が母校においては他の大学にあったような「ゼミ」と呼ばれるものは存在してはいなかったたぶん今もそうなのだろうと思う。だから、祖業論...
前述のような事情で私は1979年に大和に出てきた。入学後のあれこれの面倒くさいことは済み、4月の半ばの頃には大学の学びが始まった。1年生で必...
東北の海辺の町で生まれた私がなぜ今大和の地で暮らしているのか、そんなことについてかなり以前に書いたことがあったなと思いだして三友亭倉庫の方を...
万葉の「桜井」のページを一つ追加したので、ここで告知。 記事中の「乘馬從阿倍山田前之道」の部分のリンク先に出てくる少子部ちいさこべの連むら...
高屋 舎人皇子(とねりのみこ)の御歌一首 ぬばたまの 夜霧は立ちぬ 衣手(ころもて)の 高屋(たかや)の上に たなびくまでに (ぬ...
前回、私はその昔唐土で語られた三神山(瀛えい洲、蓬莱ほうらい、方丈)の逸話から話をはじめ、天武天皇は薬師寺建立の際に、大和三山の一つである畝...
神武天皇が治世を始めるのがなぜ畝傍山の麓でなければならなかったのか これが今回のテーマである。この疑問について私なりの見解を申し述べる前に...
前回の記事は次のような一文で結んだ。 確かに、これまで「橿原」なる地名については、何も考えることなく漠然と現在の「橿原」という...
町中の、ささやかなお社である。昨日出張の際に見かけたのでちょいと一枚とっておいた。場所は御所ごせ市柏原。 お社の名前は神武天皇社。拝殿...