桜井市新庁舎 屋上庭園より 南西〜北西

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先々週は桜井市の新庁舎の屋上庭園からの東側の眺望を紹介させていただいた。だからこれから書く西側の眺望については先週書くはずであったが、先週は先週で、

前回の「桜井市新庁舎 屋上庭園より 北〜南東」に引き続き、今回は「桜井市新庁舎 屋上庭園より 南西〜北西」とするつもりでいた。けれども…先週...
なんてことを書いてしまったものだから、今から書くことになる。

前回のその記事では、「なら芸術文化村」に設けられたホテルからの眺望をご紹介したが、そのホテルからの眺望も、今から紹介しようとしている桜井市の新市庁舎からの眺望も 、どちらも大和平野西端からの眺めであるからよく似たようなものである。

そこに、あえて2週続きに同じような景色をご紹介する意味を見つけようとするならば、それは、同じ西端といってもそこに幾ばくかの南北の距離がある直線にして7.5kmぐらいかな。大和平野の東西は広いところでもせいぜい15〜6km。7kmを超える南北さは結構な角度の違い与える。当然見えるものは同じでもその印象は変わる。

無論そんなことはどうでもいい方にとってはどうでも良いことなのだが、あえて今回この記事で、そんな「どうでも良いこと」をご紹介するのは、そんな「どうでも良いこと」を「どうでも良」くはないと思われる奇特な方が何人かはいらっしゃると信じるがゆえである。

てなことでまずは北西。

二上山から生駒、平群の山々までが見渡せている。前回に増しても生駒の山が平板に見えて、比べると二上山のほうが生駒の山よりも高く見えている。けれども生駒山の標高は642m、二上山のそれは高い方の雄山でも517m。125mの差を持って生駒のほうが高い。

桜井市から見れば二上山は真西に当たる。大和平野は、う〜んと簡略化して見ると南北に長い長方形である。そして、二上山と桜井市はその距離の短い方の対辺の、しかも最短の距離に位置する2点という関係にある。それに対して、生駒の山とこの新庁舎の位置関係は、その長方形のほとんど対角線上にあると言って良い。すなわち、最長の距離の位置関係にあると言って良いだから私にとっては大阪に出るよりも生駒に行くほうが時間がかかる。生駒の山と二上山の高さの見え方の逆転の理由はここにある。

いずれにせよ、生駒も二上の山も大和の西に聳える山々にあって、ことに目立った存在であって、一種のランドマーク的な存在ではある。昨年春に奈良大学から国学院の方に移られた上野誠先生がそのお話の中で、

奈良に来て方角に迷ったならば、東は春日の山、西は生駒の山を探せば良い。

といういようなことをおっしゃっていたが、奈良市および、大和平野北部にあってはまさにその通りである。そして…大和盆地の南では…それは三輪山と二上山の関係になる。その2つの山を結ぶ線上にあるという田原本の多神社では春と秋の彼岸には三輪山の頂き付近から日が昇り、二上山の雄山と雌山の間付近に日が沈むと聞いたことがある。

多武峰とおのみねと音羽おとわ山(万葉集では倉橋山)が織りなす渓谷をその源とする寺川と、同じく多武峰の西の斜面に…
さて、目線をやや南に向けてみよう。

大和三山がよく見えている。そしてその奥に高々とそびえているのが金剛山、葛城山である。

この3つの山の中央に、藤原京の中心部、藤原宮は位置していた。この写真を取った時、私はほぼ正確に南西を見ていた。そしてそのときの私の背後には三輪山が聳えていた。ということは、天武天皇や持統天皇の御代に鬼門とか裏鬼門なんて発想があったかどうか私は詳しく知らないが日本書紀に天武天皇は天文遁甲に長じていたとある、大和三山に守られた藤原宮は、その鬼門も三輪山に、裏鬼門も金剛、葛城の両山に守ってもらえる位置に存していたのだ。