萬葉一日旅行2023(5)

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昼食の予定の場所は御厨子みずし観音。吉備池からは徒歩で十分ほど。

そこまでの道すがらである。私の直前を歩いていた方が、「吉備という地名はいつからのものなのかな?」と一言、それに返した方は、「なんでも、中世の頃までは遡れるみたいですよ。これから行く御厨子観音が吉備真備が建立してますから、それと関連付けられるかもしれませんね。」、そして横から、「ふむふむ。」と聞いている私。ふたりとも今日の講師陣であるから、そこでかわされる会話は、私がこの場所に書いている戯言よりも遥かに信頼度は高い。

このように旧国号が地名になっているものを国号地名というが、我が桜井市には他にも出雲・豊前「ぶぜん」ではない 「ぶんぜ」と読むなんてのがある。周辺のまちまちに目を配ればお隣の天理市には上総・丹波市・備前・武蔵、橿原市には飛騨といった具合にいくつも見受けられる。なぜそんな地名になったのか、それぞれにいわれがあるのだろう。

たとえば、橿原市の飛騨。藤原京建築の際に匠の里である飛騨より多くの工人を集めた時に彼らが暮らしていた場所であると聞く。ほんとかなとは思うのだが、

飛騨人の 真木流すといふ 丹生の川 ことは通へど 舟ぞ通はぬ

萬葉集巻七・1173

かにかくに 物は思はじ 飛騨人の 打つ墨縄の ただ一道にかな

萬葉集巻十一・2648

なんて歌が萬葉集に残っているところを見ると、飛騨の匠は奈良時代から有名だったらしいので、「さもありなん」なんて思ったりもしてしまう。

わが町桜井の場合は…やっぱり、出雲だな。なんでも垂仁天皇の御代、出雲の国より工人を招き土で人や馬の人形則ち埴輪を作らせたことにちなむ地名だそうである。今だって、出雲人形ってのがあって、縁起物としてちょいと知られている。我が家においても下の写真のようなお相撲さんが、我が家を見守ってくれている。

今から2000年近く昔の話です。そのころ、出雲国(いずものくに=現在の島根県東部)に、野見宿禰(のみのすくね)という人がいました。野見宿禰は、たいへん力の強い人でしたが、学問にすぐれた、かしこい人でもありました。 そのころ、大和国(やまとのくに=現在の奈良県)には、当麻蹴速(たいまのけはや)というこれもたいへん強い人が...

てなことをあれこれ考えているうちに、目的地に近づいた。

いよいよ楽しみのお昼ごはんであるが、その前にもうひと講義。推定磐余池堤跡である。この場所については以前一度書いたことがある。

先日の記事を受けて、私は早速現地へと向かった。この週末のことである。17日土曜日、車を走らせること10分、目的…
この堤跡が発見された時…早速足を運んで見てきたときのものである。

かつてこの場所には、下のような池があったらしい。

三方が小高い丘に囲まれ、その間を戒外川が流れる。この戒外川の出口さえ塞いでしまえば、この場所はたちまちかつての池にもどる。

さて、磐余の池…となると話は前回、前々回に渡ってお話したので、もう今回はお話しない。ただ、前回と同じ詩を刻んだ歌碑が御厨子観音の駐車場の手前にあったので紹介しておく。

上の写真はこれから歩いて行こうとする方向を写したもの。一番手前、建物のすぐ上に平べったく横たわっている丘が安倍山である。それはそれは美しい文殊様がこの山のお寺にお鎮まりになっている。そしてその次、右手にこれまた平べったい、それでいてきれいな三角形の山が鳥見山。私自身はこの鳥見山が「磐余」の東端ではないかと思っている。そんでもって画面中央部、鳥見山の中央部に背後の山に溶け込むように小さな小さな三角形が見える。その昔忍坂の山と呼ばれていた外鎌山である。ここには万葉の歌人たちにあってはそのすべての父とも言える舒明天皇がお眠りになっている。

そんでもって画面の左の方に見える高い山。宇陀と桜井の…ひいては大和平野と大和山地の境界とも言える、これまた鳥見山。

先ほど紹介した画面右前方の鳥見山と、どちらが神武天皇の聖蹟、「鳥見山中霊畤とみのやまのなかのま つりのには」であるかをあらそった山である。このことについても。以前かなりくどくどしく書いたので、そのはじめの記事だけここで紹介しておく。

「鳥見とみの霊畤まつりのには」の所在について…なんてことを考えてみたいと思う。 むろん、そんなにちゃんとした考…
結構、その経緯が面白かったのでしつこく書いた記憶があるが…最終的には手前右側の鳥見山に話は落ち着いたように記憶している。

そのとき、私としては左奥の鳥見山のほうがいいんじゃあないかと思うんだけど、最近はちょいと迷いが出て、右下の鳥見山も可能性があるんじゃないかと思うようになってきた。…まあ、どっちにしても実際にあった出来事ではないんだからいいんだけど、日本書紀の編纂者の意識としてはどっちだったのかってことには興味がある。

そして、前の写真から少しだけレンズを北にずらす。歩いてきた方角である。

磐余の地はどこからも三輪の御山がきれいに見える。