私がブログを始めた頃 その3

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「私がブログを始めた頃」と題し、書き始めてはや3回目である。前回までに書いたのは、私がパソコンを購入するまでの経緯であり、「ブログを始めた頃」という表題で示した「頃」には未だ達していない。

今回やっとそこまでたどり着くわけであるが、今から2週間ほど前、自らがブログを書き始めた日にちなんで、思い立って書き始めた中身ではあるが…

なぜブログというものを始めたのか、どうにも思い出せない。

そもそも、1回目でも書いたように、パソコンなるものに懐疑的であった私は、当然のようにネット社会にも懐疑的な目を向けていた。そんな私ががどうしてブログなんてものを始めてしまったのか思い出せない。

阪神タイガースが18年ぶりのリーグ優勝し、その際の上新電機の優勝記念セールに乗じてパソコンを購入したが2003年の10月。そんでもって、ブログを始めたのは2009年7月。結構な歳月がその間にはある。その歳月が私のパソコンやネットの世界への懐疑的な眼差しを緩和させてくれたのだろうが…まさかブログなんて書き始めることになろうとは、少なくともパソコンを初めて購入したときには毫も思ってはいなかった。それが、こうやって今も書き続けているわけだから、その始めには何かしらの積極的な理由があったに違いない。

けれども、さっぱり思い出せない。私のパソコンやネット社会への懐疑心を薄れさせてくれたように、様々なものを忘れさせてくれる力が歳月にはあるらしい。

ともあれ私がブログを始めたのはまるっと14年前。2009年の7月である。

その時…一番に考えたのが、このブログのタイトルとハンドルネームである。

このブログが「三友亭雑記」と名告るようになってからは結構な日数が経つ。けれども、最初からこの名でなかったことは古くからお付き合いのある方はご存知のこと。いつからこのブログは今の名になったのか、記憶は判然としない。2010年7月以降に書いたものは「三友亭倉庫」に保管して入るが、それらの記事がなんと名告っている期間に書かれたものかはわからない。まことに心もとない次第である。

けれども、ここまで書いた以上、その心もとない記憶を振り返ってみたいと思う。

確か…はじめの数カ月は「無題」と名告っていたと思う。いや…タイトルを決めることが出来ずに、名無しの状態でブログをスタートさせたという方が正確である。そしてその数ヶ月の間、暇を見つけては我が寂しい書架から、目についた本を取り出してはペラペラとページを繰っては我がブログのタイトルにふさわしい言葉はないか探していた。そしてその乏しい書架の片隅でほとんど睡眠状態にあった「佩文韻府はいぶんいんぷ」という書物が目に入った。

余り聞いたことのない書物だなと思う方もいらっしゃるかとは思うが、学生時代に万葉集をかじっていた私がまことにお世話になった書物である。お世話になりついでに、よせばいいのに大学を出たその年に購入してしまった。結構なお値段のしたものではあったが、これからもこの本のお世話になるような生活をしなければならないとの思いから買ってしまったのだ。

けれども、その後、私は「佩文韻府」のお世話になるような生活を送ることが出来なかった。「佩文韻府」は我が書庫の片隅で長い眠りについたのである。そしてその「佩文韻府」がついに長い眠りから覚める時が来たのであるこんなことにつかわれることを「佩文韻府」は決して臨んではいないと思うが…

そして…その中で見つけたのが「北窓三友」という言葉であった。